2019年10月3日木曜日

10月の初めにBSL4施設計画について考える

 国立感染症研究所は9月末までにエボラ出血熱やラッサ熱などの5つの原因ウイルスを輸入して、東京都の武蔵村山分室に搬入したと発表した。来年の東京五輪・パラリンピックを控え、これまで日本になかったアフリカの風土病の検査体制を強化、多くの外国人が日本に来てこの中に、万一、これらのウイルスを持った人が訪日した時に、この武蔵村山分室でこれら病気の治療方法などを確立して対応するのが目的。武蔵村山分室では、これらの病気に特化して研究することを厚生労働省と武蔵村山市とが約束、将来、この分室の移転も視野に入れている。



 オリンピックを錦の御旗に厚生労働省が武蔵村山市にエボラウイルスを持ってきて研究するのは、私たちには、だいぶ以前から見えていた。長崎には長崎大が、これらウイルスを輸入して研究するBSL4施設を坂本キャンパスに建設中。

 武蔵村山と長崎も周囲が住宅密集地ということは変わらないが、決定的に異なることは、武蔵村山は治療に特化して研究することに対し(分室はウイルスの研究だけで患者は都心の病院に隔離するのに対し、長崎ではすべて坂本キャンパスで対応する。例えば、BSL4施設で針刺し事故などが発生した際の治療は、同キャンパス内の長崎大学病院で行う。)、長崎では動物実験や遺伝子組み換え検査などをすると公言。このほかの研究内容などを発表していないので、「ここで危険なバイオ兵器研究」も含まれているはずと言う点。(長崎市の周辺住民の反対派の中には、文部科学省の予算で防衛省からのではないから、との理由だけでバイオ兵器は造らないとか、長崎大は軍事研究はしないと言っているから、まさかバイオ兵器まではしないはずという楽観派も多い)。日本学術学会の提言には「バイオテロ対策が必要」と書いており、長崎大でこのBSL4研究のリーダー的存在の安田二朗教授(獣医)は日本でのバイオテロの第一人者だ。バイオテロは、この前のサウジの油田みたいにドローンでの攻撃もあるし、ミサイルなどでの攻撃もあるだろう。私は地上からでなく主に空中からの攻撃と見ている。また遺伝子組み換え検査もどういうものか怖いし、してもらいたくない。

 ついでに言えば、日本では国策で原発が稼働を続けており、原爆の材料となるプルトニウムを多く貯蔵している。日本の三菱重工のミサイル技術は世界的に高く、北朝鮮を大幅にリードしているが、現在は「はやぶさ」などの民用にだけ使われている。しかし原爆をつくる技術は簡単といわれており、その気になれば、いつでも日本は核保有国になれるが、日本は唯一の戦争被爆国なので国民的に核アレルギーが強く、現時点では核保有国になることは無理。ただ原発は決して効率の良いものではないが、これを稼働させ続けているのは、多くの軍事専門家は原爆をいつでも保有できる状態にしておくため-と言われており、私もこの意見に賛成だ。

 核兵器の次の兵器は、バイオ兵器だと私は見ている。

 長崎のBSL4施設計画で言いたいのは、周辺住民の合意だ。確かに自治体の長崎市は賛同しているが、「建設する前に住民の合意をとる」ことをせずに着工し建設中。学術会議の提言に「事前の合意」(が必要)とあるものの、これは無視され、「合意をとりつつ建設する」と長崎大学は拡大解釈して工事を進めているが「住民の合意をとる努力」をしているようには見えない。日本領竹島が韓国に実質支配されているように、建設を始めたが勝ちで「住民は蚊帳の外」のようにみえる。

 私は長崎大学の目的がバイオ兵器製造の研究とみているが、長崎大学は現在でもここで何の研究をするかを発表していない。私たちが情報公開の裁判でいろんなことを質問しても、いわゆるのり弁と言われる全部黒塗りの状態。BSL4施設の建物の設計図さえのり弁だ。長崎大学は当初、「情報公開を徹底します」とチラシに書いていたが、まるで嘘。このほか長崎大学の説明は嘘が多い

 このような中、長崎大は河野茂学長のワンマン体制を敷いている。例えば、各学部が教授会で決めた事を上げたら学長決済で却下されることがよくあると言う。また新任教員を採用する時、これまで定年までの無期と言うのが常だったが、現在、2年とかの有期で、まるで非正規状態。なぜこうなったかというと、学長に反発した場合は雇用延長がない。

 一番困っているのが医学系で傘下の病院や医院は大学病院からの医師の派遣が欲しかったら、学長の言うようにしないといけない。
 長崎大に大学の自治などなく、教員だけでなく職員までもが学長の顔色を窺って仕事しているようだ。

 ところで、私は今年の6月初めに大学時代の友人たちと箱根旅行するために上京した。そのついでに武蔵村山市を訪ねた。新宿駅からJR中央線で立川まで約15分か20分。立川駅から市役所まで、バスで40分かかった。写真は撮らなかったが駅前は100メートルの幅のある綺麗な道路。これは昔、米軍砂川基地(現立川基地)で起きた砂川紛争があったところで、この一帯が一部返還されたところだと言う。その綺麗な景色を見ながらバスからのぞくと、マッチ箱みたいな家が並び、また5,6階建ての大きな団地、ものすごく大きい商業施設なども回った。

 何でも武蔵村山市は東京都で唯一、電車、地下鉄、モノレールなどのない自治体で有名とか。市役所のBSL4担当者に聞くと、近くまで多摩モノレールが来ており、これを市内に通すことが第一に課題だと説明してくれた。BSL4ではあくまで病気に特化して研究する-他にBSL4施設がないから人道的に市内にある分室で検査するしかない-と説明してくれた。だが、もう建設して40年も経っているので市外に移転することで厚生労働省と合意していると広報紙を見せてくれた。

 翌日、西武線玉川上水駅からバスで10分乗って、団地の真ん中で降りた。武蔵村山市が出した地図には国立感染症研究所武蔵村山分室は全く書いておらず、ただ住所の番地だけを頼りに探した。そしたら驚いてしまった。市民のほとんどが「国立感染症研究所武蔵村山分室」の名前を知らない。またエボラウイルスなどの言葉も知らない。10人に1人ほどが知っており、場所とどんな施設かを尋ねたら、場所は知っていても、何をする施設かをほとんど知らなかった。これで住民に周知して、国が日本にないウイルスを輸入したわけが分らない。

 やっとの思いでたどり着いた分室の周囲は、雷塚小学校や特別支援学校、図書館などの公共施設に取り囲まれていた。住所もこの付近に東京経済大学があるためか、学園4丁目-とか。何でここにエボラを扱う施設がと思う。これは伝聞で本当かどうか分らないが、分室ができた時、周囲は畑ばかりだったところに後で住宅地ができたとか。しかし、だから反対といえないとは、私は思わない。なぜかと言うと、約5年前、塩崎厚労大臣が、エボラに感染したと疑わしい患者が出た時に限り、検査のためだけの稼働を市長にお願いし、市長は人道的判断から受けいれ今度の輸入については、オリンピックを理由に要請を受け入れた。私が市長なら、オリンピックが終わったら元へ(患者が出た時だけの稼働で)と要請するところだが、していない。



 私は分室の研究者に、この日に会って取材をする約束をしていたが、私の名前を長崎大の研究者に聞いてBSL4反対派と分かったかもしれない。取材に対応すると言っていたのが、玄関に行ってみたら敷地に入ることを拒否され、「担当者が不在」と取材も拒否された。心の隅で、会って例え取材してみても、「ノーコメント」ばかりと思っていた。



 厚生労働省は周辺住民に説明会をしてほほ理解を得られたと言うが、私の感覚では、それは自治会長とか小中学校の関係者らわずか。ほとんどの住民が知らない。マスコミも主なことだけしか伝えないし、都会で市政のこともほとんど興味がないと見える。これで「住民の理解が得られた」とはあきれる。



 長崎では武蔵村山と異なり住民は、半分以上の周辺住民がBSL4のことを知っている。そしてBSL4の地域連絡協議会で、ある自治会長が言っていたが「周辺住民のアンケートをしたらBSL4に反対が多くを占める」と。長崎市と長崎大に「周辺住民の同意が必要でアンケートをすべき」と迫るが、この拒否反応はすごい。長崎大のある教授は「絶対しない」と言い切る。住民の意思を反映しない典型例のようにみえる。


(自称フリーライター池田文夫)



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10月の初めにBSL4施設計画について考える

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