2019年10月3日木曜日

10月の初めにBSL4施設計画について考える

 国立感染症研究所は9月末までにエボラ出血熱やラッサ熱などの5つの原因ウイルスを輸入して、東京都の武蔵村山分室に搬入したと発表した。来年の東京五輪・パラリンピックを控え、これまで日本になかったアフリカの風土病の検査体制を強化、多くの外国人が日本に来てこの中に、万一、これらのウイルスを持った人が訪日した時に、この武蔵村山分室でこれら病気の治療方法などを確立して対応するのが目的。武蔵村山分室では、これらの病気に特化して研究することを厚生労働省と武蔵村山市とが約束、将来、この分室の移転も視野に入れている。



 オリンピックを錦の御旗に厚生労働省が武蔵村山市にエボラウイルスを持ってきて研究するのは、私たちには、だいぶ以前から見えていた。長崎には長崎大が、これらウイルスを輸入して研究するBSL4施設を坂本キャンパスに建設中。

 武蔵村山と長崎も周囲が住宅密集地ということは変わらないが、決定的に異なることは、武蔵村山は治療に特化して研究することに対し(分室はウイルスの研究だけで患者は都心の病院に隔離するのに対し、長崎ではすべて坂本キャンパスで対応する。例えば、BSL4施設で針刺し事故などが発生した際の治療は、同キャンパス内の長崎大学病院で行う。)、長崎では動物実験や遺伝子組み換え検査などをすると公言。このほかの研究内容などを発表していないので、「ここで危険なバイオ兵器研究」も含まれているはずと言う点。(長崎市の周辺住民の反対派の中には、文部科学省の予算で防衛省からのではないから、との理由だけでバイオ兵器は造らないとか、長崎大は軍事研究はしないと言っているから、まさかバイオ兵器まではしないはずという楽観派も多い)。日本学術学会の提言には「バイオテロ対策が必要」と書いており、長崎大でこのBSL4研究のリーダー的存在の安田二朗教授(獣医)は日本でのバイオテロの第一人者だ。バイオテロは、この前のサウジの油田みたいにドローンでの攻撃もあるし、ミサイルなどでの攻撃もあるだろう。私は地上からでなく主に空中からの攻撃と見ている。また遺伝子組み換え検査もどういうものか怖いし、してもらいたくない。

 ついでに言えば、日本では国策で原発が稼働を続けており、原爆の材料となるプルトニウムを多く貯蔵している。日本の三菱重工のミサイル技術は世界的に高く、北朝鮮を大幅にリードしているが、現在は「はやぶさ」などの民用にだけ使われている。しかし原爆をつくる技術は簡単といわれており、その気になれば、いつでも日本は核保有国になれるが、日本は唯一の戦争被爆国なので国民的に核アレルギーが強く、現時点では核保有国になることは無理。ただ原発は決して効率の良いものではないが、これを稼働させ続けているのは、多くの軍事専門家は原爆をいつでも保有できる状態にしておくため-と言われており、私もこの意見に賛成だ。

 核兵器の次の兵器は、バイオ兵器だと私は見ている。

 長崎のBSL4施設計画で言いたいのは、周辺住民の合意だ。確かに自治体の長崎市は賛同しているが、「建設する前に住民の合意をとる」ことをせずに着工し建設中。学術会議の提言に「事前の合意」(が必要)とあるものの、これは無視され、「合意をとりつつ建設する」と長崎大学は拡大解釈して工事を進めているが「住民の合意をとる努力」をしているようには見えない。日本領竹島が韓国に実質支配されているように、建設を始めたが勝ちで「住民は蚊帳の外」のようにみえる。

 私は長崎大学の目的がバイオ兵器製造の研究とみているが、長崎大学は現在でもここで何の研究をするかを発表していない。私たちが情報公開の裁判でいろんなことを質問しても、いわゆるのり弁と言われる全部黒塗りの状態。BSL4施設の建物の設計図さえのり弁だ。長崎大学は当初、「情報公開を徹底します」とチラシに書いていたが、まるで嘘。このほか長崎大学の説明は嘘が多い

 このような中、長崎大は河野茂学長のワンマン体制を敷いている。例えば、各学部が教授会で決めた事を上げたら学長決済で却下されることがよくあると言う。また新任教員を採用する時、これまで定年までの無期と言うのが常だったが、現在、2年とかの有期で、まるで非正規状態。なぜこうなったかというと、学長に反発した場合は雇用延長がない。

 一番困っているのが医学系で傘下の病院や医院は大学病院からの医師の派遣が欲しかったら、学長の言うようにしないといけない。
 長崎大に大学の自治などなく、教員だけでなく職員までもが学長の顔色を窺って仕事しているようだ。

 ところで、私は今年の6月初めに大学時代の友人たちと箱根旅行するために上京した。そのついでに武蔵村山市を訪ねた。新宿駅からJR中央線で立川まで約15分か20分。立川駅から市役所まで、バスで40分かかった。写真は撮らなかったが駅前は100メートルの幅のある綺麗な道路。これは昔、米軍砂川基地(現立川基地)で起きた砂川紛争があったところで、この一帯が一部返還されたところだと言う。その綺麗な景色を見ながらバスからのぞくと、マッチ箱みたいな家が並び、また5,6階建ての大きな団地、ものすごく大きい商業施設なども回った。

 何でも武蔵村山市は東京都で唯一、電車、地下鉄、モノレールなどのない自治体で有名とか。市役所のBSL4担当者に聞くと、近くまで多摩モノレールが来ており、これを市内に通すことが第一に課題だと説明してくれた。BSL4ではあくまで病気に特化して研究する-他にBSL4施設がないから人道的に市内にある分室で検査するしかない-と説明してくれた。だが、もう建設して40年も経っているので市外に移転することで厚生労働省と合意していると広報紙を見せてくれた。

 翌日、西武線玉川上水駅からバスで10分乗って、団地の真ん中で降りた。武蔵村山市が出した地図には国立感染症研究所武蔵村山分室は全く書いておらず、ただ住所の番地だけを頼りに探した。そしたら驚いてしまった。市民のほとんどが「国立感染症研究所武蔵村山分室」の名前を知らない。またエボラウイルスなどの言葉も知らない。10人に1人ほどが知っており、場所とどんな施設かを尋ねたら、場所は知っていても、何をする施設かをほとんど知らなかった。これで住民に周知して、国が日本にないウイルスを輸入したわけが分らない。

 やっとの思いでたどり着いた分室の周囲は、雷塚小学校や特別支援学校、図書館などの公共施設に取り囲まれていた。住所もこの付近に東京経済大学があるためか、学園4丁目-とか。何でここにエボラを扱う施設がと思う。これは伝聞で本当かどうか分らないが、分室ができた時、周囲は畑ばかりだったところに後で住宅地ができたとか。しかし、だから反対といえないとは、私は思わない。なぜかと言うと、約5年前、塩崎厚労大臣が、エボラに感染したと疑わしい患者が出た時に限り、検査のためだけの稼働を市長にお願いし、市長は人道的判断から受けいれ今度の輸入については、オリンピックを理由に要請を受け入れた。私が市長なら、オリンピックが終わったら元へ(患者が出た時だけの稼働で)と要請するところだが、していない。



 私は分室の研究者に、この日に会って取材をする約束をしていたが、私の名前を長崎大の研究者に聞いてBSL4反対派と分かったかもしれない。取材に対応すると言っていたのが、玄関に行ってみたら敷地に入ることを拒否され、「担当者が不在」と取材も拒否された。心の隅で、会って例え取材してみても、「ノーコメント」ばかりと思っていた。



 厚生労働省は周辺住民に説明会をしてほほ理解を得られたと言うが、私の感覚では、それは自治会長とか小中学校の関係者らわずか。ほとんどの住民が知らない。マスコミも主なことだけしか伝えないし、都会で市政のこともほとんど興味がないと見える。これで「住民の理解が得られた」とはあきれる。



 長崎では武蔵村山と異なり住民は、半分以上の周辺住民がBSL4のことを知っている。そしてBSL4の地域連絡協議会で、ある自治会長が言っていたが「周辺住民のアンケートをしたらBSL4に反対が多くを占める」と。長崎市と長崎大に「周辺住民の同意が必要でアンケートをすべき」と迫るが、この拒否反応はすごい。長崎大のある教授は「絶対しない」と言い切る。住民の意思を反映しない典型例のようにみえる。


(自称フリーライター池田文夫)



2019年10月2日水曜日

BSL4施設計画の中断と開示請求の不開示部分に対する開示を求める裁判を提訴 ~差し止めを求める会などが長崎大学と長崎市に~


長崎大は、まだ治療法が確立されておらず、日本にないウイルスの病原体を扱うBSL4施設を坂本キャンパスに建築中だが、BSL4施設計画の差し止めを求める会(山田一俊代表、会員2269人)と個人原告3人は9月24日、長崎市と長崎大学に、施設が危険であるとして計画の中断と、これまで求める会が求めていたBSL4施設の図面などほとんどの資料をのり弁と言われる黒塗りで出していることに対し憲法の人格権や知る権利などで不開示部分を開示するように提訴した。

訴状によると、長崎大学は坂本キャンパスでBSL4施設を設置、運営する計画を進行させている。長崎市は公衆の生命、健康を保護する義務を放棄して長崎大学に計画に同意を与え、計画の推進に加担している。長崎大学の研究、実験、施設などからウイルスなどが漏れると、ただちに住民に感染し生命に直結する健康被害を生じるという点が特筆べき事項である。また症状が現れないうちに家族や知人にも感染させてしまい、他人の生命、また身体に危害を生じさせてしまう恐れまでがある。そうであるにかかわらず、長崎大、長崎市などは原告らに対し着工後においても、原告らが求める情報を開示しない。このため原告らは自身を防衛するための情報すら入手できない状況にある。住民には生存権、幸福追求権、人格権、知る権利があり、長崎大学のBSL4の計画は原告求める会の構成員の権利を侵害するものである。このように生命侵害に直結するような情報さえ開示されない状況において工事を進めることは付近住民の人権を侵害するものである。したがって基本計画を中断し、建設計画を続行しないように求める-などとしている。

これについて山田代表は「私たちはBSL4を住宅密集地の坂本キャンパスに造らないでほしいという一点を要求している」と話す。そして、住民たちの多くは「研究までするなとは言っていない。無人島などの人里離れたところで研究してほしい」と言うが、一部には「この計画は学術会議の提言書に書いているテロ対策も大きな目的で、実質長崎大学のBSL4のリーダーは日本でのバイオテロの専門家。テロに使うのはドローンであったり、兵器であったりする。長崎大学は、軍事研究はしないと言っているが、BSL4計画は長崎大学など9大学の共同で行うので、ここでは主にバイオ兵器の主な研究になる。日本では原子力兵器には拒否反応が強く、これからはバイオ兵器の研究が世界の潮流となるだろう。動物実験や遺伝子検査の内容も知らされておらず、この研究は人類にとって危険なものになる。」
「本当に病気の治療法だけに特化するなら、長崎大はケニアに拠点を持っているので、これら病原体のある近くのケニアで研究すべき。本当に治療法だけと言っても、それは研究者が坂本キャンパスに通勤しやすいだけでこれは受け入れがたい」などと指摘する人もいる。

(求める会は、会費制ではなく一般市民の寄付やカンパで賄っており、今後の裁判継続のための費用として、寄付、カンパを受け付けています。)

(文責・個人原告 池田文夫)

2019年7月17日水曜日

BSL4の情報開示等請求事件(第5回口頭弁論)

原告側は,開廷に先立ち,訴えの追加を申立てました。
これは,情報開示とともに,BSL4計画の差止を追加しようとするものです。
そして,それが認めるかどうかは,裁判官の判断に委ねられます。

☆ 訴えの追加的変更

土屋裁判長の口から出た言葉は,私の耳には「許可します」と聞こえました。
ところが,それに続けて裁判長は,判決言い渡しの期日を話し始めました。

訴えの追加的変更を認めたのなら,裁判は続きます。判決の言い渡しの期日を言うはずかありません。
そのため,原告や支援者は,そこで初めて,訴えの追加的変更が認められなかったことを知りました。

傍聴席にいた支援者の方も「許可します」と聞こえたと証言しています。
訴えの変更が「許可」されたので,良かったと思って拍手をされたそうです。
拍手は,原告席でも聞こえましたので,裁判官の耳にも届いているはずです。

なぜ,裁判長は「却下します」「許可しません」など,誤認しにくく聞き取りやすい言葉を用いなかったのでしょうか。

また,土屋裁判長は,訝る原告の様子を見て「許可しません」と言い直しましたので,原告には誤って伝わっていることを認識していたことになります。
つまり,「許可しません」と言い直したときにはじめて,訴えの変更を認めない旨の意思が原告に伝わったことになります。
その後,直ちに原告の1名から「(裁判官を)忌避する」という言葉が発せられました。

ところが,弁論終結を理由に「(裁判官忌避の申立は)できない」と裁判長。

「(訴えの追加的変更を)許可しません」と,裁判長が言い直した直後に,原告の1人から裁判官忌避の意思表示をしています。
原告に訴えの追加的変更の意思が伝わるまでの間は,弁論は継続しているとみるべきです。
そうであれば,弁論終結を理由とする裁判官忌避の訴え無効の判断は,誤りではないでしょうか。

更に,判決日はくんち前日である10月7日(13:10)とされました。
これは,長崎市民の目,関心をそらす狙いがあるものと思われます。

裁判官の辞書に「武士道」という言葉はないのでしょうか。

2019年6月4日火曜日

BSL4 いらない! ー バルーンアクション ー

6月1日、中止連(BSL4施設設置の中止を求める自治会・市民連絡会)は、「BSL4 いらない!バルーンアクション(風船飛ばし)」を、坂本町の医学部正門前で行いました。


風船を飛ばして、BSL4の排気の行方を実感しようという企画です。会員や市民約30名が、午後2時に「BSL4はいらなーい」と大きな声を上げながら、100個の風船を、放ちました。


風は南西から吹き、ときおり南風が混じりました。大半は江平町方面に、一部は浦上天主堂方向に、飛び去りました。

風船飛ばしの通路の反対側には、15名ぐらいの若者が興味津々で見入り、歓声を上げました。

医学部の木々に絡んだ風船は会員が全部外して空に飛ばし、電線に絡んだ1個も1時間後には自分で飛んでいき、ご迷惑をかけることなく、無事終了しました。

5月末に、この企画の案内チラシを周辺に配布しましたが、「長崎大学はフクシマの問題でも、BSL4でも政権べったりだ」「事故があったら、ここらは壊滅ですよ。建物はつくっているけど、動かせないように、反対の声がひろがりますように!」など、私たちへの激励がありました。

長崎県立西陵高等学校 新聞部のみなさんが「求める会」に取材

5月18日、長崎県立西陵高等学校新聞部から「BSL4施設のことを取り上げて記事にしたい。BSL4施設計画の差し止めを求める会に直接お話を伺いたい」と取材の申し込みがあり、ご希望の24日土曜日の午後に取材に応じることができました。

西陵高等学校新聞部からは部員4名と引率の先生1名。求める会からは山田一俊代表、役員の舟越耿一・池田文夫・山崎倉俊、地元自治会の会員の松尾勵さんと道津靖子さんが高校生からの質問に答えました。

最初に、山田、舟越、山崎の3人で、熱帯医学ミュージアムを一緒に見学しました。BSL4の模型や「宇宙服」のような防護服を見ながらBSL4とは何かをお話ししました。そのあと、建設現場も見て、いかに住宅地が間近なのかを確認してもらいました。



地元自治会が用意していただいた会場では、求める会役員の池田、地元の松尾さんと道津さんも合流して、約1時間半、高校生からの熱心な質問に答えました。
質問が次々に出され、山田会長はじめ参加者から判りやすいようにと心を配りながら答えました。


質問事項は、
①裁判を立ち上げたきっかけは何ですか? 
②裁判の目的は何ですか? 
③長崎大学はどんな説明をしてきたのですか? 
④大学が考えているメリットについてどう考えますか? 
⑤求める会の会員数と役員の数は? 
⑥いままでにどんな成果がありましたか? 
⑦裁判のほかにどういう取り組みをしてきましたか? 
⑧建設が始まっていますが、どう受け止めていますか? 
⑨稼働したらどう対処しますか? 
⑩国や大学に言いたいことはなんですか? 
⑪市民・県民に言いたいことは何ですか?
の11項目に及びました。

語り尽くせないこともあったかと思い、最後に、情報公開裁判の陳述書、学習講演会の資料をお渡ししました。「長崎大学には、後日取材に行きます」と元気に帰られました。この取材は、私たちにとっても、どういう内容を広くお知らせすべきかを学ぶ機会になりました。

2019年5月17日金曜日

BSL4問題を審議する公募委員に昨年度の公募委員6人だけが応募し私だけ外され、公募委員が一人減った

 長崎大が坂本キャンパスに建設中のBSL4施設について審議する地域連絡協議会の公募委員は、その任期が1年とさているため、年度毎に公募される。今年度の公募委員の募集に対して、私を含む昨年度の公募委員6人が応募したが、私1人が落選して、今年度は公募委員を5人で進めることが、今年度初の同協議会(5月14日開催)で明らかにされた。


 公募の件は、大学や長崎県、長崎市のホームページと長崎、朝日、毎日、読売、西日本の新聞各紙に、募集広告が出された。800字程度の小論文を大学と県、市が応募者の名前を伏せて審査し、私だけが基準点に満たしなかったとして落選した。

 5月14日に開かれた地域連絡協議会では、公募委員と自治会代表委員の2人の委員が「おかしいのでは」と質問。「委員は(BSL4に)反対と賛成の各3人ずつ、計6人が慣例だった」「賛成派の公募委員で3月の県議選に立候補した人(落選)がおり、政治的なことを持ち込まないとすることに触れないか」とか「落選した人は反対派だったから、賛成派も1人減らし、公募委員を4人にすべき」と、暗に県議選に出た人を外すよう求めたが、大学は「これは決定事項」と突っぱねた。

 私は昨年度中の各協議会で、BSL4施設について資料を集めて、他の公募委員が新鮮な意見を全くしない中、大学に主に次の3点について追及した。

①BSL4施設を住民の合意が必要-などと書いた日本学術会議の提言を見つけて、「住民の合意がないのに着工は出来ない」
②長崎大が「長崎は国際都市で多くの外国人が来てエボラに感染する危険があるから長崎に造ることに合理性がある」とすることに反論して「外国人の多くは東京や京都などの大都市に泊まり長崎よりも東京などが危険で適地だ」と言い返し、大学は「感染症はどこでも危険と」と言い直した。
さらに③長崎大が「チラシなどで情報公開を徹底的にやる」と言っていたが、公募委員を務めたことがある長崎大名誉教授が「BSL4で扱うウイルス」について情報公開したが、大学は「真っ黒に塗ったのり弁」状態で出したため「情報公開を徹底すると言っていたのに、おかしい」と追及、大学は「どんなウイルスを扱うかは公開するが、実験する内容までのウイルスは公開できない」として「徹底する」を取り消し、言い直した。

 このように長崎大は着工が前提で、でたらめな、その場しのぎの説明ばかりをして、国が付けたBSL4施設の予算執行のため、学術会議の提言を無視して着工して「建設しながら合意に務める」と言っているが、BSL4問題は裁判闘争にもなり、住民の合意は全く取れる見込みはない。

 昨年度の地域連絡協議会で、私の質問と回答の時間を大幅にとったことは事実だが、これで審議を妨害したとはだれも思っていない。私は公募委員として、今年1月までにまだいろいろな質問を出しているのに、書面だけで簡単に回答してきていたため、私は落選するであろうと思い、3月にもう一回開催して質問に答えてほしい-と求めてきたが、これも無視され年度が替わった。

 つまり、大学にとって私は邪魔な存在だ。小論文にはおかしなことを書いておらず、大学は恣意的に私を公募委員から外した。「小論文が基準に満たなかった」というならこれを具体的に示すべきだ。

 「基準点に満たさなかった」。これほど大学が学生に言うように見下し、小馬鹿にした発言があるだろうか。こんな言い方は、私が公募委員としての能力がない-と言っているようなものだ。

 私は現役中、新聞社に勤めていたために、新聞社の記者という立場と私個人の立場の双方から、国、県、市、各種団体の審議会や協議会の有識者委員を経験したこともあり、意見が対立した時はこれを仲裁する立場だった。それを「能力がない」といういい方は遺憾だ。これには前例があり、私が応募して公募委員になった代わりに、木須博行長崎大名誉教授が落選し、公募委員から外された。これも同じ理由の「基準点に満たさなかった」とか。2人を知っている人が見たらおかしな言い方だ。はっきり、反対意見がまともだったから外した、と言ってくれた方がすっきりする。

 独断だが、昨年度の地域連絡協議会で、一番、問題点を突いていた公募委員は私だったし、一昨年度は木須名誉教授だった。そうすると、公募委員の選定の基準は、個人の能力ではなく、大学にとって不都合な人物を省くと言う意味に解釈しないと納得できない。つまり,一昨年度は私が公募しなくても木須名誉教授は落選していたし、木須名誉教授の代わりに私を公募委員にしたが、やはり大学に都合が悪くて、慣例で公募委員6人としているところを5人に減らして、反対、賛成が同数にはならないのにもかかわらず私を落選させた。もし新たに公募委員に応募した人がおれば、ものすごい反対の姿勢を示していない限り、公募委員になっていただろう。

 ついでに有識者、大学内部の教授も現執行部に都合が悪くて委員から外されたと思う。レクナ(長崎大学核兵器廃絶研究センター)のセンター長だった鈴木達治郎教授だ。この4月でセンター長が代わったことで、委員も新センター長である吉田文彦教授が就任した。前任の鈴木達治郎教授(現レクナ副センター長)は、日本原子力委員会委員長代理を務めたこともある有識者で、昨年、情報公開の時も「情報公開を徹底すべき」など私を擁護するなどした一方、原発事故などに豊富な知識を持っている人物。

 私は、鈴木教授が大学の方針に従わないとして、レクナセンター長から退いたのを機に、委員を外したとみている。原子力、原発の知識が豊富で進歩的な考えをお持ちで、そのために地方の長崎大に飛ばされたとみている。鈴木教授はTBSテレビの日曜朝のモーニングショーにも出るほどの人物だ。これからBSL4の事故対応のマニュアル策定時には、鈴木教授の原子力に関する意見は必要になるが、長崎大は有識者も公募委員もイエスマンばかりにしたいようだ。

 もう一度書く。
他の委員からの指摘があったように、昨年度委嘱された公募委員6人全員が、今年度も応募し、他に応募者がいなかったにもかかわらず、公募委員を1人減らすことは不自然だ。私を公募委員に戻すべきだ。そして鈴木教授も委員に戻した方が、原発の知識を十分に取りいれた事故対応計画ができるはずだ。
(池田文夫)

2019年5月13日月曜日

第三回口頭弁論 -BSL4の情報開示等請求事件-

 長崎大が、長崎市の坂本キャンパスに治療方法のないエボラウイルスを輸入して動物実験や遺伝子検査をするBSL4施設を建設中だが、これに反対してBSL4施設計画の差し止めを求める会(以下「求める会」。山田一俊代表)と個人原告4人が、長崎大とBSL4計画に同意した長崎県と長崎市を相手に情報公開を求めている裁判の第3回口頭弁論(土屋毅裁判長)が13日、長崎地裁で開かれた。
 被告側長崎市などが原告の求める会について原告適格性がないとしていることに対して、原告側は、求める会を設立した際に作成された設立趣意書や設立総会の議事録を提出し,民主的な手続による設立・運営がなされており,原告としての適格性があると主張した。
 また、長崎市は(BSL4施設に)同意を与える権限がない‐としているが、長崎市は権限がないのにBSL4施設を容認、協力したから(建設をためらっていた)長崎大は建設に踏み切った。
 長崎市は「事故が発生しないよう万全の対策を講じ、万が一事故が発生しても被害が最小限に止めるための対策を講じるものと認識している」としているが、原告側は、この認識の根拠は何か、またどのようなウイルスを扱うと認識しているのか,被害が最小限にというが被害者の数を何人と予測しているのか,明らかにすべきだと主張した。
 これを以て、長崎大と長崎県は原告適格性などについては争わず、長崎市は検討し、6月4日までに答えるとした。
 次回の口頭弁論は6月11日(火)午後1時半から。

 なお、求める会は裁判の前に事前集会を開いた。その中で山田代表は「住宅密集地にはBSL4施設は造らせないと言う強い気持ちで裁判に臨んで建設中止に持っていきたい」と述べ、続いて弁護団が今日の裁判の意味を説明した。

(解説) この日、明らかになったことは、長崎大と長崎県は裁判では今後、これ以上は争わずに、裁判所が、憲法に基づいた情報公開についてどのような判断を示すのか,待とうとする作戦が見えた。
 長崎大は、このBSL4施設計画について、チラシなどで一貫して「情報公開を徹底する」と言ってきた。しかし、一昨年、個人原告の一人でもある木須博行長崎大名誉教授がウイルスについての情報公開請求をしたところ、長崎大は真っ黒に塗ったのり弁状態で回答。「徹底する」と言ってきた「情報公開」について、これを契機に「どんなウイルスを使うかは公表する」としていたものが、「このウイルスでどのような実験をするかは公開できない〔調漸(しらべすすむ)学長特別補佐〕」に方針が変わった。このために、長崎大などは情報公開について、争う意思がないとみる方がよい。
 このため、この情報公開訴訟が早く終わった場合に備えて、原告側は今後、どのような対応をするかを考えないといけない。万一、負けた場合のための準備が必要のようだ。被告側は、負けた場合には控訴し上級審の判断を仰げばよく、そのうちに建設している施設ができるのを待っていればよいだけだからだ。
(個人原告・池田文夫)

10月の初めにBSL4施設計画について考える

 国立感染症研究所は9月末までにエボラ出血熱やラッサ熱などの5つの原因ウイルスを輸入して、東京都の武蔵村山分室に搬入したと発表した。来年の東京五輪・パラリンピックを控え、これまで日本になかったアフリカの風土病の検査体制を強化、多くの外国人が日本に来てこの中に、万一、これらのウイル...